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横浜西区初詣はどこへ行く?(初詣)横浜西区周辺情報

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こんにちは

横浜西区初詣はどこへ行く?

ざっくり、まずそもそも

ざっくり初詣とは(はつもうで)

年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事で、一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりするそうです。

1月7日までに行けば良いとか、その年に初めて行ったのが初詣で何月でも良いなど

色々みたいですね

また、神社でもお寺でもどちらに行っても良いみたいです。

神社とお寺の違いがいまいちわかんないんですが

ざっくり神社とお寺の違いとは

神社は日本の神様 鳥居がある みたいです。

お寺は海外の神様 仏様仏像がある みたいです。

ですって

では横浜西区の神社お寺の沢山ある中からいくつかピックアップしますね

横浜西区初詣はどこへ行く?

勧行寺

旧東海道に面し、間近に環状一号線、頭上には首都高速三ツ沢線が、背後の丘を貫いて走っているというのに、木々に囲まれたこのあたりは静寂そのもの。そしてここはまた、小鳥たちのサンクチュアリ(聖域)でもある。

このお寺、法華宗学陽山勧行寺(かんぎょうじ)。越後本成寺末で三ツ沢豊顕寺三世日養をもって開山とする。ご本尊は大曼茶羅、一塔両尊だが境内にも面白いものがある。まず天然理心流の流祖近藤内蔵之助長裕(こんどうくらのすけながひろ)の墓。新撰組局長近藤勇は四代目にあたる。もう一つは水車舟制作の道周翁の墓。水車舟とは外輪船のことだろう。その功績をたたえた水戸藩主の和歌一首が彫られている。他に作家の北林透馬夫妻もこの墓地で眠る。

浅間神社(安産祈願・厄除け・商売繁盛など)

承歴4年(1080)富士浅間神社の分霊を祭ったものと伝えられている。祭神は、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)で旧芝生村(しぼうむら)鎮守。本殿2階建浅間造。社殿のある丘は、「袖摺山(そですりやま)」と呼ばれ、昔は山の下がすぐに波うち際であったという。
この丘の斜面には20基の横穴墓があり、そのうち開口したものが「富士の人穴」と呼ばれ、この中に安置されていた大日如来石像が、現在社殿横に置かれている。

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成田山横浜別院延命院(有名 厄除け・商売繁盛など)

成田山横浜別院延命院(神社・寺)桜木町駅周辺情報

本尊は不動明王。明治3年(1870)本山成田山新勝寺より分霊を勧請して、太田村(現南区西中町)普門院境内に遙拝所を設立。同9年高島嘉右衛門から敷地の施入を得て現在地に移り、成田山教会と改めた。その後、明治26年(1893)本山塔頭より寺号を転じて延命院と号した。通称野毛不動尊と呼ばれている。

崖にそった階段の入り口には、亀がたくさんいる福満財弁天の池。少し上がると伏見・豊川・新栄の3稲荷。さらに役小角(えんのおずぬ)像、大日如来、不動尊、36体の童子が次々と現われる。崖下の水行堂は冷水を浴びる修行の場という。

洪福寺

寺伝では、開山は呑海(どんかい)といわれている。寛永13年(1636)袖摺山(そですりやま)薬師堂を当地に移したという。本尊薬師如来は、鎌倉権五郎景政の守り本尊と伝えられ、目洗薬師といわれている。

水天宮平沼神社(安産祈願・子授け祈願・水難除祈願・海上安全祈願・家内安全・交通安全・厄除けなど)

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天保10年(1839)5代目平沼九兵衛が、平沼新田鎮守の神として水天宮をまつったのが始め。境内社平沼稲荷社、荒神さま、平沼天満宮。湯立神事を1月5日午前10時に斎行するという。この湯を飲むとかぜをひかないといわれている。

杉山神社(家内安全・商売繁盛・厄除け・身体健全・工事安全・社運隆昌など)

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西区役所の北側にある、約3600平方メートルほどの境内は、イチョウやケヤキなどの大木に囲まれた住宅地の小さなオアシス。社伝によると白鳳3年(652)、出雲大社の神、大己貴命(オオナムチノカミ)の御分霊を祭ったもので横浜では最古の神社という。大己貴命とは、いなばの白うさぎなどの神話で有名な大黒様のこと。

境内には天神社、稲荷社、山王社、社宮祠社(くらやみ坂にあった「おしゃもじさま」)、厳島社、浅間社、三峯社、聖徳太子殿がある。市指定の古木ケヤキもある。

現在の社殿は、昭和31年(1956)8月再築の鉄筋コンクリート造りで、同年の神奈川県建築コンクール第1部に入賞している。

願成寺

願成寺(がんじょうじ)は、戦国時代末、天文期に建立されたと言われる古い寺。明治時代に今の場所に移されるまでは、くらやみ坂の下にあった。
寺伝によると、昔、行基菩薩がこの地で渇きをおぼえたところ、一匹の亀に導かれ、清水で渇きをいやした。そこでここを法亀山と号したという。境内墓地には、スポーツ市長といわれた平沼亮三(15・16代横浜市長)、幕末の鎌倉事件(鎌倉で英国士官2人が殺害された)で処刑された清水清次と間宮一、港崎町(みよざきちょう)の遊郭でフランス水兵を殺害した亀吉(小亀)の墓がある。
※ なお、願成寺山門下のお堂には、願成寺に古くからあったもの、藤棚交差点あたりにあった北向地蔵や、岩亀横町に合ったものと言われている3体のお地蔵さんが祭られている。

伊勢山皇大神宮(有名 合格祈願・厄除け・安産祈願・交通安全・商売繁盛など)

伊勢山皇大神宮(神社・寺)桜木町駅周辺情報

もと戸部村東部の伊勢山(現在の掃部山公園東北端あたり)にあった大神宮を明治3年(1870)、神奈川県権知事井関盛艮(いせきもりとめ)の告諭により、野毛山に移して伊勢山皇大神宮ととなえ、横浜の総鎮守と定めた。これより所在地は伊勢山と呼ばれた。境内には、明治10年(1877)西征陣亡軍人之碑、以徳報怨・蒋公頌徳碑、万葉歌碑(犬養孝書)などがある。

東福寺

赤門町の町名は、この東福寺の朱塗りの山門からとったもの。本堂の左手前にえん魔堂。裏手の墓地には、非公開だが、海員万霊の墓や富貴楼お倉の墓(伊藤博文など政財界の大物と親交を深めた人で、中区相生町・尾上町にあった料亭「富貴楼」を経営)、作家長谷川伸一族の墓などがある。寛元年間(1243~47)元心法印の創立とされ、文明年間(1469~86)太田道潅が再興したという。

情報横浜市よりhttp://www.city.yokohama.lg.jp/

まずは自分の家から近くの神社に行き日頃守っていただいているお礼をして

それから他に行くことが良いようです。

今後も調査して行きたいと思います。

ではまた

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